2004年9月11日。東京吉祥寺で柳美里さんの「『8月の果て』刊行記念サイン会」が行われた。この様子については「サイン会レポートin吉祥寺」に詳しく記されているので、そちらをぜひ参照してほしい。

 私は、吉祥寺でのサイン会にLa Valse de Miriのスタッフとして参加した。私にとって、柳さんと生でお会いするのは今回が初めてだった。そこで、今回は初めて柳さんと生でお会いし、数時間行動を共にした体験から、私が思ったことを書き綴ってみたい。

 私はこれまで、著作を読んだり、メディアに出演されているのを見聞きしたり、La Valse de Miriの掲示板やチャットに参加したりして、間接的に柳さんと接してきた。そんな中で、柳さんのいろいろな面が見えた気がしていた。直接お会いしてみたいという気持ちは徐々に大きくなっていった。吉祥寺でのサイン会はそんな私にとって絶好の機会だった。地方に住んでいる私には上京できる機会はそんなにない。これを逃してはならないと一大決心をして、サイン会にスタッフとして参加することにした。

 柳さんは会場に午後2時に登場した。その瞬間、私はとても緊張していた。
(あの柳さんだあ…、生で見ちゃった…)
 柳さんはピンク色のゆったりとした服で、下はサンダル履きだった。
 柳さんがマイクを持って、最初の挨拶をしている間、私はずっと柳さんの姿を凝視してしまった。
(ラジオやテレビで聞いた声と一緒だ、本物だ!)
 私が一人で固まっている間、柳さんは場を和ませるかのように、淡々と吉祥寺と自身との関わりについて話していた。柳さんが劇団に入っていた頃、吉祥寺に住んでいた友人がいて、思い出に残っているそうである。

 挨拶が終わり、いよいよサイン会が始まる。私は、サイン会の間はLa Valse de Miriの企画であるアンケートの回収作業を行っていた。横目で柳さんの様子を見ると、楽しそうに、お客様と話していたり、写真を撮ったりしていた。
(いいなあ、親しみやすい感じだなあ。)

 サイン会が終わりに近づいた頃、初対面の挨拶をするために、柳さんのもとへ向かった。
「はじめまして。こんにちは」
(とうとう柳さんと口をきいてしまった!)
 はっきりいって、このときのことはよく覚えていない。確か、親しげに微笑んで、周りの出版社や書店の関係者の方々に、私がLa Valse de Miriのスタッフであることを紹介してくださったような気がする。まだまだ私は緊張していたのだった。

 この後、サイン会は無事終了し、柳さんは啓文堂書店の控え室に入った。この控え室で柳さんから衝撃的な発言を聞くことになる。
 サイン会での疲れを取りつつ、柳さんは、啓文堂書店用にサインを書き、談笑していた。そんな中、啓文堂書店吉祥寺店のあるユザワヤについて話が及んだ。すると柳さんは話し始めた。
「昔、母と一緒に蒲田にあるユザワヤから毛糸をよく盗んでいましたよ」
「その毛糸で母はセーターを編んでいました」
(!!!!!!)
 その場にいた一同は大笑い。私も笑ってしまった。今なら時効であるとはいえ、事も無げにこんなことを暴露しているのが面白くて、さすが柳さんだ、ただ者ではないと思った。この話のおかげで、私の緊張はかなりほぐれた。


  啓文堂書店を去った後、新宿方面へ書店回りをすることになっていた。私たち、La Valse de Miriのスタッフも同行することになった。

 駅で、私は柳さんに言われた。
「靴のひもがほどけてる」
  あっ、本当だ。ボーっとしていて気づかなかったが、私の靴ひもがほどけていた。指摘してくださったことを嬉しく、恥ずかしく思うと同時に、他人を注意深く観察する人なんだなあと感じた。作家さんは普段から人をよく見ているものだと聞いたことがあるが、柳さんもそのようである。実際、柳さんと以前にも会ったことのあるスタッフに、
「前の靴も特徴あったけど、今日もそうだね。そういうのが好きなの?」
と語りかけていた。人の外見をよく観察して覚えていることが分かる。

 電車での移動時間はあっという間だったが、その間、柳さんと話をすることができた。スタッフが私も含め大学生が主だったこともあり、柳さんは外国語学習について尋ねてきた。

「何語を習っているの?」
「僕は中国語です」
「どれくらいできるの?」
「1年や2年ではなかなか無理です」
「日常会話くらいはできるの?」
「ちょっと難しいです」

 柳さんはどんどん質問を繰り出してきたため、この話題に関してとても興味津々のように私には思えた。柳さんは「8月の果て」で、日本語の文のルビにハングルでの読みをつけたり、逆にハングル読みの文のルビに日本語の意味をつけたりというとても面白い試みを行っているが、韓国語を自由に扱えるわけではないそうだ。柳さんは、以前韓国語を勉強しようとして中途でやめてしまったそうだが、もしかしたらまだ韓国語をマスターするという目標を温め続けているのかもしれないと思った。

 電車を降りると書店回りの始まりである。これがことのほか大変だった。土曜日夕方の新宿駅周辺は日本で一番混雑しているそうである。私は人の波の中を歩いているうちに、くたくたになり迷ってしまいそうになった。それに比べて、柳さんの何と元気なことか!「サイン会レポートin吉祥寺」にもあるが、すたすたと人込みをものともせず、突き進んでいく様子には圧倒させられた。マラソンの練習でかなりの体力をつけているようである。歩くのがあまりにも速くて、最初から最後までペースが変わらないため、ついていくだけで精一杯だった。このパワフルさにはとても驚いた。

 書店回りの途中で、エレベーターを待っている最中、柳さんから話しかけられた。

「新宿の人込みは初めて?」
「はい、初めてです」
「どう?」
「あまりの人の多さに疲れました。」
「こういうのはうんざりするよね」
「はい」
「目がちかちかしてくるから私も人混みは好きじゃない」
「何となくそれは分かりますね」

 この会話をしているとき、なぜか、いい加減な受け答えはこの人には絶対見破られるな、と直感的に感じた。最後に「何となくそれは分かりますね」と言ったとき、ちょっと曖昧だった心の内面が見透かされているような気分になった。多分、悪く思われているわけではないと思うが、何か怖さを感じた。柳さんの目は、外見もしっかり観察しているが、内面までをも見通す力があるのだろうと思う。普段、心にもないことを言ったり、ごまかしたりすることに慣れている私にとって、何気ない会話の中であっても、このような目で見られることはとても恐ろしく感じた。

 今回、柳さんにはとても気を遣ってもらった。柳さんは、人が本当のことを言っているかどうかを見破る勘が鋭いと思う。少なくとも、そう感じさせる目をしていたような気がする。そういうタイプの人の気遣いには繊細さが要求されるだろう。ただ闇雲に人に気を遣う人間よりも心の負担が大きいのではないか。そんなことを勝手に思ってみた。

 実際にお会いして、今まで間接的には分かり得なかった柳さんの一面が少し分かった気がする。少しの間だけしか一緒に行動できなかったし、話もあまりできなかったので、柳さんのことが分かったと大きな声で言うのはおこがましいことであるし、誤解もあるだろう。それでも、柳さんの姿が少しでも伝われば幸いである。もし、柳さんに直接的でも間接的でも接したことがあるという方は、ぜひそのときの印象を掲示板やチャットに書き込んでほしい。



 


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