スタートラインまでの42.195km その3

Up Down Up Down

 折り返しの10km地点でトイレ休憩と簡単なストレッチタイムをとり、再びランニング開始!
 往路に上り坂が多かった分、復路は楽な下り坂の方が多い……はずなのだけれど、実際に走ってみると、やたら上り坂ばかり多い気がする。ストレッチによって、いくぶん脚が軽くなったように思えたのも束の間、やはり時間の経過とともに、体の疲労が積み重なってきているのかもしれない。
 傾斜が急な下り坂は、呼吸は楽に感じるものの、脚にかかる負担が大きいので、道幅をジグザグに縫うようにゆっくり走ると良いそうだ。
 ランナーによって、上りに強いタイプと下りに強いタイプというのもあるそうで、佐藤コーチいわく、ビジターのMさんは前者、柳美里さんは後者らしい。



 折り返しからずっと、私は柳さんと佐藤コーチの傍にぴったり付いて離れなかった。「コーチの声を聞いていると安心します」と言ったのは全くお世辞抜きの本心だった。
 12〜13kmを過ぎたあたりから、今までに経験したことのない、深い所からじんわりと湧いてくるような痛みが、両膝からふくらはぎの裏側、表側、足首、また膝へと次々に移動しながら回り始めていたのだ。そもそも、これほど長い距離を走り続けること自体が初体験だったのだから、当然といえば当然なのだが、柳さんや佐藤コーチの声や息遣いがすぐ傍に聴こえる場所にいなければ不安で心細かった。
 しだいに口数が少なくなってきているのを自覚した時、佐藤コーチが明るい声をかけた。
「腕を大きく振って、いっちにっ、いっちにっ! あらら、何だか女子校の部活みたいね」
 その声に周りを見て、思わず笑ってしまった。『8月の果て』の担当編集者でもある新潮社のA部さんが、柳さんや佐藤コーチを囲んで走る女性陣の先頭に立って、紅一点ならぬ黒一点で伸びやかに走っている。さすが、陸上経験者!
 これでピッピッと笛でも鳴らしていれば、本当に女子校の体育のセンセイみたいだよね、と笑いながら、空気が澄んでいることが肌で感じられるような山道を、Up、Down、Up、Down、すっすっはっはっ、すっすっはっはっ……



 あと何km、という標識が立っているわけではないから正確にはわかりにくいものの、腕時計を見ると、そろそろ15kmを越えようかという頃合いになっていた。
  ……重い。
 自分の荒い息遣いだけがやたら大きく耳に響いて、脚が前に出ない。
 吸うよりも吐いて、腕を振って、深呼吸、すぅ、はぁ……それにしても重い。
 両足の先に人間をひとりずつ引きずっているような、などというと何やら怖ろしげな表現になるから、丸太棒でもいい、砂袋でもいい――とにかく、想像をはるかに超えて、重い。
 走る前の佐藤コーチの言葉を思い出した。

「走り始めてからおよそ1時間半を過ぎると、体の中のエネルギーが使い果たされて、呼吸はそう苦しくないのに脚が重くて前に出ない、という状態がやってきます」

 ……時間通りだ。こういうことだったのかと得心がいって、何か探し物を見つけた時のような嬉しさがふっと湧いた。
 柳さんが『8月の果て』を書くにあたって、自らが実際にフルマラソンを走ろうと決めた思いが、少しだけわかった気がした。
 小説の題材としてマラソンランナーを描くのなら、作家自身が42.195kmを走ってみるよりは、参考資料を取り集めたり、現役のランナーに取材をしたり、という方法が常套のはずだ。

「42.195kmを走っているひとの内面で何が起こっていて、体がどうなっているのかは、想像では書けないなと思った」 (NHK『週刊ブックレビュー』放送時のインタビューより)

 心身ともに過酷な方法を敢えて選んだ柳さんの、この長編小説に懸けた思いの深さを、あらためて感じずにはいられなかった。



 伴走車からドリンクを受け取って一気に飲んでいると、
「結構、余裕じゃないですか?」
 車の中の男性スタッフ陣が微笑んだ。
 余裕なんかないぞ、と思いつつ、負けず嫌いだからね〜と笑い返して、再び走り出す。
 得意の下り坂でペースアップした柳さんと、少し距離が開いた。
 ふくらはぎの筋肉が、皮膚の内側で2つに分かれて擦れ合っているかのような、何とも奇妙な感覚が時間とともに増してきていた。激痛というほどではないが、思い通りに脚が上がらず、旅館の仲居さんのような小走りのすり足に近い形になっているのがはっきりとわかる。
 所々で立ち止まっては、アキレス腱を伸ばしたり足首を回したりする頻度が増えた私に、佐藤コーチが声をかけた。
「大丈夫?」
 はい大丈夫です、と言おうとした瞬間、何かがぴんと張り詰めたような細い痛みが両脚に同時に走った。
「……脚が攣っちゃったみたいです……両方とも」
 コーチも立ち止まり、私の両脚のふくらはぎの裏側を力強くマッサージしてくれた。
「車に乗る?」
 私は首を振った。
「今、走るのはちょっときつそうなので、しばらく歩きます」
「わかった。じゃ、そうしよう」
 佐藤コーチはこともなげに明るく笑い、私と並んで歩き出した。
 黒いウェアにキャップをかぶった柳さんを含む集団が、遥か先のカーブに小さく見えていた。
 大股かつ早足で、元気よく腕を振って歩いていると、攣ったような脚の痛みが少し遠のいてゆく気がする。競技のマラソンなら、この時点で棄権になってしまうところだ。今回のイベントのうち、わざわざこのマラソンの担当スタッフに立候補した私がこんなふうじゃ、格好つきゃしない……と内心で苦笑しながら、それでも斜面を吹き抜けてゆく柔らかい風がたまらなく心地良くて、気分はまんざらでもなかった。



 往路でも通った、細い単線の鉄道線路が見えてきた。
 山の中腹の小さなトンネルから、短い1両しかない電車がひょっこりと出てきて、自動車教習所にある見本のような小さい踏切をゴトゴト走り抜けてゆく。まるで古い映画のワンシーンのようなその姿に、
「か……可愛い……!」
 思わず顔を見合わせて笑ってしまった。
 自然のままの木々の姿や遠くに薄く見える山の峰を眺めて闊歩しながら、佐藤コーチといろいろな話をした。柳さんのこと、家族のこと、子供の頃のこと……そして、再びあの碧い海が見える頃には、また走れそうな力が少し戻ってきていた。



 両脚の機嫌をとるように走ったり歩いたりしながら、腕時計がPM2:45を差す頃、佐藤コーチと私はゴール地点(すなわち、スタート地点)に到着した。
 先に着いていたひとたちが、お疲れさまぁ! と笑いながら、体が冷えないようにとフリースを手渡してくれる。
 嬉しさが込み上げた。
 今回、もしも途中で走れなくなっても、伴走車にピックアップを頼むことだけはしないと決めていた。必ず自分の脚でゴールインする、と――。
 何とかそれを果たせたのは、佐藤コーチあってこそだ。彼女がずっと傍にいてくれなかったら、初めて経験する痛みの不安を抑えかねて、あるいは諦めていたかもしれない。
「コーチのおかげです。本当に、ありがとうございました」
 佐藤コーチは手を振って笑い、
「いいフォームで走ってたわよ」
と、温かい手で私の肩をぽんぽんと叩いた。
 ほどなく、柳さんを筆頭とした先着グループをホールに送り届けていた、hakkaさんの車が再び戻ってきた。LaValseホールでは、弾丸ツアーを率いたイタリアンシェフ・ダヴィさんが、前日に引き続き、美味しいものを用意して待っていてくれるという。
 汗に濡れたウェアをいつまでも着ていると風邪を引いてしまうので、走り終えたひとたちは各自のホテルに一旦引き上げ、シャワーを浴びて着替えてからホールに再集合、という段取りになった。



ゴールからの出発



 ダヴィさん特製の温かいミネストローネを食べながら、柳さんや佐藤コーチを囲んで、しばしの歓談タイム。
 野菜がたっぷり溶け込んだ優しい味が、爽快な疲労感に満たされた体のすみずみまで行き渡る気がした。
 佐藤コーチの国立競技場長距離教室の話や、今日参加したメンバーたちでまた集まって立川の駅伝に出場しないか、という話でひとしきり盛り上がる。
 予定よりも少し時間がおしてしまったので、日帰りしなければならないひとたちはちょっと慌しかったが、また会いましょう、一緒に走りましょう! という言葉を当たり前のように交わし合えることが、かけがえのない素敵なことに思えた。



  また一緒に走りましょう――。

 本気で、そう思っている。
 来年のこの時期に予定されている、「柳美里 in 萩2006」で実現するのか、それ以前にどこかで走る機会を持てるのかわからないが、この次は必ずスタートからゴールまでを走り通してみせる。
 数年前までは、毎日かかさず愛犬と走っていたが、その子を亡くして以来、本来好きだったはずの「走る」ということからすっかり離れていた。
 犬も連れずに、たった独りでランニングウェアを着て走ることへの寂しさや気恥ずかしさもあった。
 もう、気にしない。
 すっすっはっはっ、すっすっはっはっ……
 柳さんや佐藤コーチのリズミカルな息遣い、「いっちにっ、いっちにっ」という朗らかな声を耳の奥に響かせながら、毎日、独りで走りに出るようになった。

 萩のコースは、スタート地点とゴール地点が同じ場所だった。
 ゴールを出発して、スタートに戻ってくる。

 今、ここから、新しいレースが始まる。




All Photos by
榎本正樹
hakka
時雨
ダヴィ

Copyright(c) 2004-2005 La Valse de Miri [yu-miri.com].All Rights Reserved.