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2004年11月24日
勝ち負け
22日の話のつづき……。
わたしがいっている勝ち負けというのは、外部の評価や結果ではない。
卑近な例を示せば、
わたしの小説でいちばん売れた単行本は『命』で、たしか60万部。
いちばん売れなかったのは(まだ発売して3ヶ月だから、じりじり伸びる可能性はあるけど)、『8月の果て』で、現在1万部ちょっと……。
販売(営業)的な観点からすれば、『命』は<勝ち>で、『8月の果て』は<負け>ということになるんだろう。それは、15年前に構想して、8年前から取材を開始して、2年間にわたって連載して、打ち切られた作品だから……読んでもらえなければ浮かばれない、とは思う。だから、ほんとうはやりたくなかった宣伝活動もやった、手にとってもらえるきっかけになればと……わたしができることはすべてやった。精一杯、『8月の果て』に奉仕した。
売れなかった……。
売れたら成功、売れなかったら失敗、と思っているわけではない。
全く売れなくても、作品の質の評価が(自他ともに)高ければ成功だ、と開き直っているわけでもない。
で……?
勝ち負けというのは、断崖から断崖へ飛べた(成功した)から勝ち、落ちた(失敗した)から負け、というもんじゃないと思う。
正直なことをいうと、わたしは「勝った」と実感したことは一度たりともない。
落ちながら、敗けるもんかと歯を食い縛っている。
落ちたのにクタバラナイから、また、岩に爪を立てて崖を這いあがらなければならない。
そして、また、飛ぶ。
また、落ちる。
そのくりかえし。
もっというと、敗けるもんか、と力を入れなければ、朝、瞼を開け、からだを縦にすることだってできやしない。
そんな<人間>(嫌いな言葉だけど、ここでは敢えて<人間>を使う)を、<世間>では敗残者と見做すのだろう。
だけど、わたし以外の<人間>に、わたしの<勝ち負け>を云々することはできない。
なぜなら、わたしの<闘い>を知らないから。
だけど、わたしが、わたしに勝つことはない。
なぜなら、わたしは、わたしのなかでいつもたった独りだから。
わたしが、わたしの味方であったためしはないから。
わたしの敵は、いつも、わたしだから。
ただ、わたしが、わたしに敗けないでいるだけだ。
今日は、
敗けなかった。
でも、
明日は、
敗ける、
かもしれない。
わからない。
わからないけれど、
ジャンプする。
地面から両足を離したその瞬間にしか、勝負(勝ち負け)というものは存在しないと思う。
投稿者 柳美里 : 2004年11月24日 21:20
コメント
美里さん、
いつもあなたの日記を読みながら、
自分はどうかな、と考えます。
自分の勝ち負けと外部の評価や結果。
あまり外部の評価は気にしていないです。
ある意味、going my way な部分もあり、
ですが、キリスト教的に言うと、すべては
神様が見ているのだから、人の評価なんて
どうでもいい、って所もあるかな〜。
自分の中での勝ち負けは、自分の基準で
勝ったり負けたり。今月は勝ちの方が
多いかも(笑)。
酒井順子さんの負け犬の遠吠えは、
面白そうな本かも、と思って、いずれ
買おうかな〜と考えているのですが、
美里さんがおっしゃったのは、本の題名
ではなく、そのままの言葉かしら。
投稿者 Y.M.H : 2004年11月24日 22:03
柳さん、人の気持ちに簡単に「わかる」なんて言ってはいけないと思うけど、「わかる」ような気がします。私はとても共感を覚えます。
私は自分の人生(柳さんこの言葉嫌いって言ってましたよね?でも何て言ったらいいんだろ?)に満足したことはないです。これは、「勝った」と思ったことはない、に似ているかもしれない。
おそらく他人から見たら、私の人生(生き方ならいいかな?)は所謂「負け犬」だろう。
でも、私を負け犬と見なす(であろう)誰の人生とも交換したいとは思わない。思ったことはない。そういう誰の人生もうらやましいと思ったことはない。
これを巷では、「負け犬の遠吠え」と言うのかも知れない。いや、言うんだろう。
でも、私には関係ない。
投稿者 楓 : 2004年11月24日 22:46
生きている限り勝ち負けは存在しないと思った。常に自分と闘い続けなければいけないから。一時でも自分を許すことができたら・・・と思う。でもそんなの無理な話だ。こんな状況をうみだしたのは自分自身だから。だから、この手で何かをうみださなければならない。上から塗り潰せば見えなくなるような気がする。でも私は周りの評価、認められるということでしか塗りつぶすことができない。つねに未来に恐怖を感じる。だけどそうしなければまともにたってはいられない。でも本当は倒れたくても倒れられないから。そしてそんな自分を激しく嫌悪する。そのくりかえし。でも私の場合そう遠くない未来に勝負はつくだろう。と思います。といっておきながらも私は、美里さんなら大丈夫。と言いたい。です。
投稿者 絹さや : 2004年11月24日 23:58
誰かに諭されたくも無いし、
誰かを諭したくも無い。
誰かに評価されたくもないし、
誰を評価するほど他人になんて興味ない。
いつの日にも 私は私であり続け、
彼は彼、彼女は彼女であり続ける。
変えることなんて出来ない。
もうとっくに始まってしまってるから。
どうしても、私は私。
誇っても、散っても 私は私。
だから、常に自分を満たせ。
そして、課題を与え続けよ。
たったそれだけの事が、とても苦しいときがある。
なぜかと思う。
多分、私は私だからだ。
投稿者 ぴっぴ : 2004年11月25日 00:58
「ゴールドラッシュ」のサイン会で初めてお目にかかった時、あまりの衝撃に言葉が出ませんでした。
小説やエッセイの中の言葉から感じていた、ある種の捨て身の強さ、どれほど傷付いても闘い抜く凛々しさ――そんなイメージとあまりにもかけ離れた、ほっそりと小さな少女のような立ち姿に……。
「燃えさかる炎を一瞬で凍らせて、少女の形をつくったみたいなひとだったの」という、何だかよくわからない表現をして、友人を苦笑させてしまいましたが、私の中で、あの時感じたものは今でも変わっていません。
もう、5年前のことになるのですよね。
己れの弱さに甘えたくなるたび、あらためて思い出します。
あの凛々しいひとを「好きだ」と言える資格が、今の自分にあるか、と……。
美里さんの言葉は、私の大切な道標です。
投稿者 さくら : 2004年11月25日 01:01
60万部と1万部+、この違いは本の内容に共感する(たまたま共感できる環境に置かれた)読者の数にも関係があると思います。構想から15年、ようやく刊行できたのですね。ご苦労様。やりたくなかった宣伝活動もやった、それは作品の質の評価のみならず、一人でも多くの人に読んでもらいたい、伝えたい、感じてもらいたいと願ったからではないでしょうか。
投稿者 すい : 2004年11月25日 21:52
「私は私」…(コメントの欄で拝見しました)いい言葉だなあと思いました。私は私 常に自分にいい聞かせたいと思います。
投稿者 田中 : 2004年11月26日 23:14
これを読んで、すごい勇気付けられました。私も、「勝ち組」「負け組」って言うけど、一体どこで線引きしてるのかなぁとずっと思ってて、同時に今の自分は一体どっちなんだろうとずっと考えてました。考えれば考えるほどどっちなのかわからなくなり、要は自分次第なんだと思ってはいたけど、『わたしの敵は、いつも、わたしだから。ただ、わたしが、わたしに敗けないでいるだけだ。』というくだりで、なんだかもっと具体的な答えが見つかったような気がしました。
投稿者 とり : 2004年11月28日 20:06