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2004年07月01日
カモメを食らうカラス
たとえ1行でも、毎日更新する、と宣言したのに、また、あいだが空いてしまいました。
この間、いろいろなことがありました。
わたしが、いろいろなこと、というときは、ほぼ凶いこと、と思ってくれて構いません。
6月半ばに、3年間勤めてくださった家政婦のYさんが倒れ、軽くはない病気だということが判明して退職されました。
そして、その翌日に、信頼していた編集者が倒れ、現在かなり深刻な病状です。
3食+弁当づくりに、家事全般という日々のなかで動揺し、落ち込み、大切な仕事を2つも駄目にしてしまいました。
このままではどうしようもない、と今朝、干しかけの洗濯物を投げ出し、鍵もかけずに家を飛び出しました。
走った!
今年に入ってまともに走ってないから、息は苦しいわ、ふくらはぎはパンパンだわで、何度も引き返そうと思ったけれど、とにかく、前へ、前へ……あまりにものろくて(太ってるんです)、走ってるっていうか、からだをこねてるみたいな感じで……擦れ違ったハイキングの小学生に背後で笑われました。
でも、7キロは走った。
帰って体重計に乗ったら、体重56・2、体脂肪率27でした。
走れないはずだよ、重い、重過ぎる。
いま、踵が痛くて、湿布してます。
で、タイトルの説明をします。
走ったあと、幼稚園に出掛け(母親参加の日でした)、息子と七夕飾りを笹にくくりつけ、その笹を自転車の籠に突き刺して、「さぁさぁのぉはぁ、さぁらさぁらぁぁぁぁぁぁぁ」と(半ばヤケで)大声でうたいながら自転車を漕ぎました。帰宅して、ふたたび自転車に乗って、海の家が乱立する由比ガ浜へGO!
水着カップルがいるところを避けるために長谷のほうまで行って、漁師の船がたくさん停めてあるあたりで砂浜に下りたんですが……波打ち際で、まだ生きている(かなり弱っていた)カモメをカラスが寄ってたかってつついていました。
つつくたびに、白い羽が飛び散って……
わたしたちは、ふたりでじっとその様子を見ていました。
あとから考えると、子どもには見せないほうがよかったのかもしれないけれど……何故か立ち去ることができなかった……。
インサン。
明日も時間の隙間を見つけてた走りたい。
走れれば、書けるような気がする。
書けるかな……書けるかな……書けるといいな……
投稿者 柳美里 : 2004年07月01日 20:23
コメント
en-taxiに書かれていたこと、かなり深刻な事態だったのですね。
遠くで案じるばかりの、この非力さが悲しいです。
誰にも代わることのできない、書くことと、丈陽くんのママであること――それだけに専念できる日が1日でも早く戻ることを祈っています。
願掛けの代わりに、私も明日から走ります。
毎日、少しの時間でも……
どうか、頑張りすぎないでください。
投稿者 さくら : 2004年07月02日 23:03
こんばんわ、柳さん。たまに掲示板に書き込んでいる
あみです。覚えてないと思うのですが。
私は今日初めてのバイトでした。
で、そこの店のオーナーがかなり張り切ってて
何がいやなんだかわからないけど、すごくやなかんじの
男なんです。
すっごく疲れて、帰ってきて、お風呂に入って
今日記を読んだところです。
カラスってかもめなんかも攻撃するんですね(汗)
私の飼っている犬もカラスに攻撃されたことあります。
カラスは人間でいったらなんなんでしょう。
強者であることに違いありませんが…。
私はさしずめかもめですけどね(笑)
いつも日記楽しみにしてます。
がんばるとか嫌いなんですけど、お互いがんばりましょう。
投稿者 あみ : 2004年07月03日 23:19
柳さんの書かれたものを読むのはうれしいです・・・・・今回は悲しい内容だったけど。
おれはブログによくアップしますけど、文章のプロのかたは、書くという行為にこだわりがあると思うので、催促はできませんね。
投稿者 bravo : 2004年07月04日 20:14
昨年末から家にずっといるので、柳さんの命4部作を読み始めてからフアンになりました。なかでも「水辺のゆりかご」は太宰治の「人間失格」を読んだときと同じぐらい、自分の中でセンセーショナルがおこり3回繰り返し読んでいます。日記の感想とは関係ありませんが、本を通じて応援しています。
投稿者 ましゃ : 2004年07月05日 14:51
始めまして、柳さん。私は都内の短大二年生です。柳さんのこのHP作成に携わっていらっしゃる榎本先生の講義をずっと受けていました。そのお話の中に柳さんが登場する事もあったのですが、私が柳さんの事を知ったのは高校三年の終わり、今の学校を受験する直前でした。国文学科を受験するくせに、読書が嫌いで本についての知識が皆無だった私は慌てて書店に足を運びました。そしてその時購入したのが柳さんの「命」でした。ここ数年、夜と昼が逆転してしまい、全く寝つきが悪くなってしまった私は、毎晩のように柳さんの小説を手にとります。そしてそれらは何度読んでも飽きない!新鮮さが風化される事がない!ありふれた言葉かもしれませんが、つくづくそう思います。日々、ご多忙の上に精神的ストレスが重なっているそうですが、私達はいつでも柳さんの持っている言葉、柳さんの吐き出す血と肉を待っています。お体を壊さぬよう、柳さんの日常の平安をお祈りしています。
投稿者 まゆ : 2004年07月13日 04:25
声が聴こえるのなら、助けてほしい
投稿者 Kei : 2004年07月21日 23:37
拝啓 柳美里様。東京在住40歳主婦です。
以前から(もう、10年ぐらいかな?)あなたの本を買わせて頂いてます。なのに、こちらのサイトが出来た事も知らずに・・・
突然ですが、ここを知ったのは、“GLAY”がきっかけです。
GLAY→(プロデューサーの)佐久間さん→(サルビアの花の)早川義夫さん・・・そして、柳さんに辿りつきました。 “GLAYの輪”ってほんとに不思議です。GLAY繋がりでいろんな“縁”があります。
柳さんの日記、日常にあったことを読みながら、なんで柳さんて、色んな目に会うんだろう、丈ちゃんてIQの高い子なんだな・・など、その他色んなことを考えています。柳さんの日常に比べたら“自分なんてまだマシだ”
と思っちゃうのかもしれません。
次回の更新を楽しみにしています。お体ご自愛下さい!
投稿者 sachiko : 2004年07月28日 15:34
柳さん 初めて書き込みさせていただきます、音楽しながら勤め人やってます。
柳さんの小説との出会いは随分前になりますが、先日遅まきながら4部作を読み終え、柳さん自身が、どん!っていう感じで身近にせまって来られた気がして、このHPにたどり着き、書き込みにいたりました。
十数年前に自分の母親が 癌の手術後転移から他界の際までの想い出が、生々しく再現したと同時に、現世を生き切ることの責任と重みを思い知らされました。読書という行為からは到底得がたい経験をさせてもらいました。
感謝します。
4部作以外の最近の著作まだ読んでいないので、近く追い付きます。
私も走ることを始めたところです。(未だ1日おきに5km程度ですが・・)
10数年来 水泳が生活習慣にはなっているのですが、「走る」ということは人間の野生にもっと近いという気がします。
なまりきってました。
人の動物の部分、眠らせて遺物にしてしまっていますよね。
自分とって走ることは再生ということに近いです。
次回更新を楽しみにしています。
投稿者 NOGU : 2004年07月30日 23:54
柳さん 初めて書き込みさせていただきます、私は音楽しながら勤め人やってます。
柳さんの小説との出会いは随分前になりますが、
先日遅まきながら4部作を読み終え、柳さん自身が、どん!っていう感じで身近にせまって来られた気がして、このHPにたどり着き書
き込みにいたりました。
十数年前に、自分の母親の癌の手術後転移から他界の際までの想い出が、生々しく再現したと同時に、現世を生き切ることの責任と重
みを思い知らされました。
読書 という行為からは 到底得がたい経験をさせてもらいました。
感謝してます。
4部作以外の最近の著作まだ読んでいないので、近く追い付きます。
私も走ることを始めたところです。(未だ1日おきに5km程度ですが・・)
10数年来 水泳が生活習慣にはなっているのですが、「走る」ということは人間の野生にずっと近いという気がします。
なまりきってました。
人の動物の部分、眠らせて遺物にしてしまっていますよね。
自分とって走ることは再生ということに近いです。
空いてるということは、現在また ただならぬ状況なのでしょうか?
ご自愛ください、次回更新を楽しみにしています。
投稿者 nogu : 2004年08月01日 01:32
「四月の鷺沢萠の自殺以来気に掛かっていたが、そしていままた六月下旬に脚本家であり作家の野沢尚氏が自殺した。私より若い才能ある二人の死は、時代の何かを予兆している。」――という強いモチーフで書きおろし連載中ですが、やはり同時代を生きておられる柳美里文学との対比を考えざるをえません。昨夜深夜遅く、やっと柳美里文学について私なりに掴んだものがあります。30年近く前に観た新屋英子さんの一人芝居「身世打鈴(シンセタリョン)」、これなんだと覚りました。そして鷺沢にはこうした思いは弱かった、ということに。
我が身を打ちながら、命をスライスしながらの文学創作は本当に大変だな、と思います。
投稿者 喜多圭介 : 2004年08月05日 12:52
掲示板に書くと長すぎると言われそうなのでこちらに。連載『飛鳥笙子』三部に以下を書き込みました。
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-------ぼくはこれまでに柳美里の小説を集中的に読んだ時期がある。集中的にといってもわすが四冊であったが、『石の泳ぐ魚』で裁判沙汰になっていた頃に『フルハウス』、『家族シネマ』、『水辺のゆりかご』、『ゴールドラッシュ』を読んだ。
ぼくには鷺沢萠よりはずっとインパクトのある作品群だった。笙子は父親による虐待というトラウマを引きずっているので柳の作品は読みづらそうであったが、同じように叔父からの虐待を受けて育っていても、亀の甲に苔でも生えてしまったのか加齢すると、逆に柳作品の細かい描写まで分析的に読めるようにはなっていた。
どの作品を読んでも柳は命を削りながら執筆しているのが手に取るようにわかる。それだけに読者の作品への好感は二分される。『石に泳ぐ魚』にしても『家族シネマ』にしてもすんなりとその世界に入っていける読者と自分の潜在意識のようなものを逆撫でされ、嫌悪感を覚える読者がいる筈だ。通勤途上で都会の路上にたむろしているホームレスの人たちを、なるべくなら見て見ない振りをしてしまいたい、それと近い感情を柳作品に覚える読者も少なくはない。
一言で言えば好む、好まないに拘わらず、読むのに疲労感の伴う作品群である。
ぼくにしても結構頭脳を疲れさせながら読んだのであるが、純文学は娯楽小説と異なり、読者の既成概念を揺さぶってこそ文学的価値がある。大衆がすんなり感動、感銘を覚えてしまう作品は、NHKの大河ドラマを暢気に観ているようなものではないか。大河ドラマは娯楽番組であるからそれでも是認しなければならないが、こんな純文学作品ばかりでは大衆は何も学びはしない。見て見ない振りの延長線上にある感情は差別だ。
人の既成概念は人それぞれにたいていは意識の根底に受け入れやすいもの、そうでないもののうち受容しやすいものばかりを無意識に選択して構築される。そしてそれは往々にして受容しがたい他者への嫌悪、差別を生み出す。
このことを突き破るのも文学表現の仕事なのだ。柳はこうしたことを意識して創作したのではないと思うが、結果として柳文学はそうなのである。柳は『石の泳ぐ魚』で――わたしたちは石の海に放たれた魚。魂の血を流しながら、泳ぎ続ける。――と書いていたが、柳美里の創作姿勢は読者がどう思おうとここから離れることはないだろう。
ぼくは二十五年に観た新屋英子という女優の演じた一人芝居「\mrubi{身世打鈴==シンセタリョン}のことを思い出していた。韓国語では身世は\bou{身の上}、打鈴は\bou{話}、身世打鈴は身の上話ということになる。
女優は済州島出身の八十過ぎの在日朝鮮人オモニ申英淑に扮して身の上話を三十分近くをかけて語る。申英淑は日本の植民地支配により十五歳で渡日を余儀なくされた。異郷で父母は貧苦の果てに亡くなり、夫は原爆で死ぬ。その後哀しみを背負いながらも一人でたくましく生き抜いた。
舞台設定は古紙や段ボール箱、古い自転車などを背景に、薄汚れた白衣のチマチョゴリの白髪の老婆がリアカーを引いて登場してくる。開口一番の台詞は、\\
「\mrubi{アイゴウ==哀号}、その日ィのことは、よう覚えとるよ」
であった。
劇中でなんどアイゴウを耳にしたことか。そうなのだ、柳美里の文学作品は柳美里なりの
アイゴウであり、身世打鈴なのだ。
はたして鷺沢萠の作品群にこのような作品はあったろうか。柳は書かざるを得ないから石飛礫を投げられても表現してきたが、鷺沢は読者の琴線に軽く触れそうな内容を巧みに作品化していたので、ぼくの数少ない読書からは柳文学のような作品を見付けることはなかった。が、笙子が評価したように『君はこの国を好きか』はぼくを少し疲れさせた。
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350枚近くになりました。ああ疲れた(^_^;)
投稿者 喜多圭介 : 2004年08月07日 03:11
ただ今トラックバックをさせていただいたのですが、当方のブログの方で 「トラックバックURLが正しくありません。 トラックバックURLをもう一度入力してください 」という文章が出ていまして、何度もトラックバックを送ってしまいました。荒しな訳ではありません。大変不躾な事をしてしまいました事、誠に申し訳ございませんでした。お詫び申し上げます。
投稿者 春眠@Min : 2004年09月04日 01:01
体重計にため息を洩らし、海辺の若者を避けながら
七夕のうたをやけくそに歌って、ママチャリをこぐ。
その心に親しみを感じ,思わず筆をとりました。
柳さん、がんばって。
インサン、といえば
小6の時、1歳の弟と散歩中に踏切事故を目撃しました。
そのまま立ち去れず・・・やはり母も黙々と見てました。
投稿者 sayaka : 2004年09月16日 01:43