2004年01月07日
Are you happy?
Happy birthday Dear LaValse!
2004年1月7日、今日はらばるすさんの29回目のお誕生日です。
数をかぞえるのは苦手だけれど、わたしにとっては35回目の正月(松の内って7日までだけど、7日って内? 外?)が明けました。
12月26日から今日まで旅をしていました。屋久島の送陽邸からはじまって、いまは由布院の玉の湯にいます。明日、帰る予定です。クリスマスツリーやサンタクロース人形が飾ってある去年のクリスマスのままの家へ帰るのは、ちょっと、というか、かなり憂鬱……。
クリスマスツリーといっても、両手に載るサイズで、どれもみんな贈りものです。
6年前、病院でクリスマスを過ごすわたしを不憫に思った友人たちが、クリスマスツリーを携えて見舞いにきてくれた。
当時わたしは十二指腸潰瘍と出血性胃炎で吐血して緊急入院し、入院してから妊娠していることが発覚して、(生むつもりだったから)一切の投薬治療をやめてもらった。枕をつかんで激痛に堪え、血を吐きつづけるという日々が2ヶ月間もつづき、最終的には、これ以上妊娠を継続すると命の保証ができない、という主治医の意見に従って堕胎手術を行った。
子どもを殺して、わたしだけ治って退院することなんてできない……わたしは主治医にお金(賄賂)を渡し、ずるずるずるずると退院の予定を延ばしていった。
病室のベッドで寝ているのも辛いので、浴衣の上にコートを羽織って裏庭に集うのら猫や土鳩に(食べることがうしろめたくて、出される食事はほとんど残し、体重は30キロ台にまで激減していた)餌をあげに行ったり、わたしの背の2倍はあるコンクリートの塀に沿って歩いたりして時間を潰した。時間を有意義に過ごすことが嫌だった。無駄に、無意味に、過去の濁流へと流してしまいたかった。
イブの夜は、病院の敷地内にある看護学校の生徒たちが、手に手に蝋燭を持ってクリスマスソングをうたいながら院内を行進するという催しがあった。
病気でもないのにベッドで待っているのは気恥ずかしかったので、扉の前に立って「きよしこの夜」をうたって通り過ぎた白衣の彼女たちを見送った。
そのとき、となりの部屋から中年女性とその娘らしい制服姿の少女が飛び出してきて、縺れるように抱き合って号泣した。
かなり時間が経ったあとに、「どうしました?」と(わたしにはめずらしく)声をかけた。
「……いまさっき……主人が亡くなったんです……癌でした……主人は柳さんの大ファンだったんです。病室にも本を持ち込んで、いまも枕もとに置いてあります。だから、となりに柳さんがいると知って大喜びで、サインもらってきてあげようか、といったんだけど、面会謝絶の札がかかっていたじゃないですか? 悪いよ、って遠慮して……でも何度か車椅子で廊下で擦れ違ったときに、ドキドキするな、ってほんとうにうれしそうでした……告知はしなかったんです。薄々勘づいてはいたんでしょうけど、わたしに訊くことはしませんでした……ひとつお願いがあります……棺に入れてあげたいので、主人の本にサインをしていただけないでしょうか?」
わたしは、娘さんから『水辺のゆりかご』と『家族シネマ』を受け取り、ご主人の名前と、ご冥福をお祈りいたします、という弔いの言葉と、彼にとっては命日となってしまったキリストの誕生日と、わたしの名前を書いて、泣きじゃくる娘さんに本を手渡した。
今年もまた正月が明けました。
あなたがいない、ということが変わらない限り、喪は明けません。
わたしは耳を澄ましています。
生まれることなく胎から引き摺り出された我が子の耳鳴りのような胎動に……となりの病室で亡くなった読者の最期の息の音に……最愛のひとを喪って悲嘆に暮れていた彼女たちの泣き声に……29年前の今日生を受けたらばるすさんの産声に……Dear……Dearer……Dearest……親愛なるあなたに……A Happy new year!
投稿者 柳美里 : 2004年01月07日 16:21
コメント
初めまして・・・2004.1.7に私はあなたに繋がりました。
TBSで放送された「命」を見ていたときでした。突然、叔父から電話が入り「東由多加さん」は僕らの親戚にあたる人なんだよ・・・とのこと。
私は「命」という本を見つけたとき、映画化されたとき、柳美里さんが気になりました。でも、本を手にすることなく、映画を見に行くこともなく、時は過ぎてました。普段あまりテレビは見ないのですが、たまたまたつけたら、TBSで放送してくれるということを知り、「見るべき」と思いました。でもちょっと恐い気もしました。
ちょうど、東さんがニューヨークへ行くというあたりで、電話はなりました。叔父からその事を聞いて、さっきまで見ていた「命」とは見方が変わりました。・・・生きているうちに「東由多加」に会いたかった。
遠い血の繋がりかも知れませんが、そういう人がいたということを知れただけでも良かった。
柳美里さん・・・ありがとうございました。
みか
追記:「東由多加さん」と沖縄在の「宮島京子(私の叔母です)」は、又従兄弟にあたるそうです。ご存知かと思いますが・・・。遠い血の繋がりですけどネ。
いつか沖縄へ来てください。東由多加さんと丈陽くんと共に・・・。
投稿者 みか : 2004年01月09日 16:07
はじめまして。
1/12に、『命』シリーズの4巻すべて
読み終えたところで、この2.3日、そればかり
考えて、何も手につきません。
柳美里さんと私が同じ種類の人間である事に、
何度も涙がこぼれました。
私には恋愛小説でした。
柳美里さんが 羨ましかったです。
投稿者 メグ : 2004年01月14日 22:51
初めまして。
本日このサイトを初めて訪れました。
今日まで 何度も何度も「柳 美里」を検索してきました。
何度も何度もあなたへ歌いました。
何度も何度も愛を叫びました。
私が愛した人。
私を愛した人。
私が殺した人。
私を殺した人。
あなたの言葉から 気づけなかったそこに残ったその存在に 平等に与えて欲しい愛が見えました。
投稿者 Hikari : 2004年02月05日 01:19
子供と共に人生を2度辿る…柳さんの言葉に自分自身が重なります。娘がイジメから不登校になり、「青空の果て」に耳を傾ける姿を見てから「命」4部作と「水辺のゆりかご」「石に泳ぐ魚」「家族シネマ」「ゴールドラッシュ」等々夢中で読み漁り、そして見事にハマリました。そこには形こそ違え、集団の中に入れない、他人との距離の取り方が分からない、他人の言葉に過剰に反応して煙たがられる私の少女時代がありました。柳さん、あなたは私の懐かしい人になりつつあります。今、私の中であなたは旬真っ盛りです。
投稿者 tomo : 2004年02月28日 02:07
柳さんの作品を読んだのは今から4年前のことです。
それより3年前、私は妊娠しました。
当時は学生で彼から中絶するように言われました。
泣く泣くおろしました。彼にもいろいろ事情があったので。
私は心の病になりました。その子の予定日の頃に死のうと自分の体を刺しました。
でも、今こうして生きています。
命ひとつ、犠牲にしているのに、こうして生きているのはすごく罪を感じます。
今は柳さんのように一人の子どもを持ち、なおさらその子が思い出されます。二人とも変わらず、私のお腹にできたかけがえのない命なのに。
今度、その子のお墓参りに行こうと思います。本当は父親である彼と行きたい。彼にも「今こうして生活していられるのは、君のおかげなんだよ」と頭をさげてほしい。でも、きっとそんな願いはかなわない。
一人で頭をさげてきます。ごめんなさい。って。
友達に「その子の分までこの子をかわいがってあげなよ」なんて言われます。でも、あの子はあの子。この子はこの子。別々の人。そして二人とも私の子ども。
あやまってきます。
投稿者 けいこ : 2004年04月18日 03:21
私が初めて柳さんを知ったのは、1年程前に、『命』のDVDを借りた時でした。その日は友達と見ていたので、ただ普通に『いい話やったなぁ〜』で、終わったのですが、何かしっかり見た気がしなくて、次の日またDVDを借りました。1回目には分からなかった感動に気付き、本を買いました。
命〜声 までの4冊と、他にも買いました。
私も未婚で子供を産みました。中学三年生でした。相手も中学三年生で、結婚はできませんでした。
無責任な男は、子供が生まれて、私が退院してから、一度も来た事はありません。養育費も無しです。
私は親に妊娠の事を話せず、母親が私の妊娠に気付いたのは、七ヶ月で、堕胎する事はできませんでした。堕胎できないことぐらいわかっていました。でも、どうして良いのかわかりませんでした。私は、家族の助けを借りて、子育てと、高校と、バイトをしていました。子育ては殆んど家族に助けてもらっていました。
あの時堕胎していたら、今私はここに居ないかもしれません。
多分、柳さんの息子さんと同じ歳だと思います。長々とすみません。
投稿者 miyu : 2004年06月16日 17:45